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「フィンランドのくらしとデザイン」展に行ってきた

3日(日)は兵庫県立美術館で開催されている「フィンランドのくらしとデザイン」展に行ってきた。無料の招待券が手に入った友人が誘ってくれたのだ。

個人的には展示順の中盤にあった、家具や照明、食器などの展示がおもしろかった。機能性重視のシンプルなデザインは、同じ北欧のIKEAが思い浮かんだ。私はIKEAのデザインが好きなので、興味深く見ることができた。しかし、IKEAはスウェーデンの企業なので、本当はちょっと違うのかも知れないけど。

全体の展示は1900年ごろから順に時代を下っていくようになっていると同時に、生活空間の「外」から「内」へ向かっていく形になっていたようにも見えた。フィンランドの風景画から建築物やその設計図、そして家具や雑貨という並びで、まさに「くらしとデザイン」を見せる構成になっていたように思えた。

普通、こういった美術館の展覧会は絵画や像が多いけど、今回はそれ以外のものが多かったのが特徴的だった。一見、何のへんてつもないイスや食器が、展覧会でこうして意味づけされた形で見せられると、改めて「なるほどなあ」と思えることが多かった。

兵庫県立美術館

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「草間彌生 永遠の永遠の永遠」展を観に行った

先月の28日(土)、中之島にある国立国際美術館で開催中の展覧会「草間彌生 永遠の永遠の永遠」を観に行った。「また、美術館へ行こうか」と思っていたところに今回の展覧会の情報を知ったので、行ってみることにしたのだ。草間彌生と言えば“水玉”……らしい……。私は草間彌生については、名前をうろ覚えで知っているだけで、ほとんど知識は持っていなかった。

今回の展覧会は、草間彌生が2004年以降に描いた「愛はとこしえ」、そしてそれに続く「わが永遠の魂」の両シリーズの絵画が主に展示されている。「愛はとこしえ」は即興的に描き出されたモノクロの作品群で、これまでの草間彌生の“水玉”“網模様”というイメージとは違うものになっているとのこと。そして「わが永遠の魂」は色彩が加わり、「愛はとこしえ」をさらに推し進めるような連作になっているそうである。

実際に観て感じたのは、圧倒的な作品数とその描き込みの量。「愛はとこしえ」は全50作品、「わが永遠の魂」は47作品が展示されているのだが、これらはすべて2004年以降に描かれたもの。また、描き込みの度合いも半端ない。全面に描かれる無数の目、顔、丸、波形、短い線、縞模様などなど、「どんだけの執着心やねん」と思ってしまった。草間彌生は1929年生まれなので、70歳代後半になってこれだけの数と、そしてあれだけの密度を描いたことになる。そのパワーというか、意欲というか、とにかく圧倒された。

絵は抽象画なので、正直、じっと見ていてもよくわからない。でも、何か感じるものはあって、そして作品のタイトルを見てみると「ああ、なるほど。」と腑に落ちてしまう。「あれ、そうなの?」というものは少なかった。

草間彌生自身が書いた詩の展示も何点かあった。特に、「愛はとこしえ」と「わが永遠の魂」の両コーナーの間にあった詩は、絵を観るより先に読むと良いかもしれない。詩は言葉だけあって、絵画よりは具体的でメッセージも多少はわかりやすい。

そうして詩を読んでから絵を見ると、また感覚が違ってくる。死、愛、青春、宇宙、意欲、畏れ。これらの絵は、作者の心の中に溜まりまくっていた、経験も感情も希望も、悔しさも愛も闘いも、なにもかもがあふれだして凝固されたものだと思える。絵は詩よりももっと直接的に表現されていたかと思える。詩を読んでからは、さらに絵の迫力を感じるようになった。

なぜ70歳後半になっても、あれだけの量を描き、あれだけの描き込みをするのか。振り返って私は40歳手前。学生や新社会人のころを思えば、私は老けた。しかし、80歳を超えてもなお自分をはき出し、たたきつけられたものを見てしまうと、「老けた」とか言ってる場合やないなと思う。もう吸い込むものは無いのか、もうはき出すものは無いのか。いや、まだまだ全然やないか。そう思った。

ここからは余談。土曜日と言うこともあって、展覧会には家族連れや若いカップルなどいろいろな人が来ていた。展覧会を観ている途中、これらの絵を見て「かわいい」と言う若い女性に2回ほど出くわした。「これ、グッズないの?」と言っている人もいた。私は今回の絵を見て「かわいい」と思ったことはまったく無かったけど、若い女性からすると「かわいい」と見える部分もあったのか。んー、「かわいい」とはなんぞや?。

夕暮れの国立国際美術館 入口